好きだった女の子

 

こんにちは。やよいです。

 

今回は、なんとなく過去に好きだった人の話でもしようと思います。

前のブログの記事で『初恋のゆりちゃん』という記事を書きましたが、それから私が女の子を好きになったのは一度だけ。一度だけありました。

 

今はその女の子と縁が切れてしまった、というか連絡を取っていない状態なので、ただ彼女の性格からして私のツイートは時々見ているような気がするので、もしかしたらこの記事を見ることがあるかもしれません。いや、多分見ていると思います。

 

彼女と出会ったのは高校三年生のときでした。同じ、自称進学校のような高校に通っていて、それでも私と彼女では全くタイプが違っていたし、友人のカラーも全く違ったと言っていいと思います。

私は地元川崎で培ったヤンキー魂を胸に肩で風を切って歩いていたし、彼女は浮いた女の子たちのグループの中で、真っ赤なパーカーなんかを着て、言うなれば少し悪目立ちしていました。浮いたグループに居るのにお化粧が濃く派手な彼女、Uちゃんは噂が一人立ちしているような子でした。

「援交しているらしいよ」

「この間おじさんと腕組んで歩いてるの見た」

それはあとから聞くと実際は彼女のお父さんだったのだけれど、当時本当に援交をして合法ハーブ代を稼いでいた私からすると、同じような子が居るもんだな、と思った程度でした。

 

Uちゃんと知り合ったのは、一人だけ居た共通の友人を介してでした。

当時、Uちゃんはポッチャリしていて、メイクもあんまり上手じゃなくて、控えめな女の子でした。

昔観ていたアニメが一緒だったこと、案外下ネタのノリがいいこと。

「今日はぶっちゃけて色々話そうよ!」なんて、女子高生の時のノリで話すと、Uちゃんは「一人でシないと眠れないんだよね」と言いました。

その時に、なんか、グッと来るものがあったのを覚えています。

あの子、私が触ったら、舐めたら、どんな反応するのかな。

普段おとなしいUちゃんを責める妄想をして、おまたの辺りがキュンとしました。

 

そこから、よくある話だけれど、Uちゃんと二人で遊ぶことの方が多くなりました。(三人グループって続かないよね)

彼女は、初めて彼氏が出来て、ずっと大切にしていた処女も喪失して、振られたり他の男の子と遊んだり遊ばれているうちに、痩せてどんどん綺麗になって、ふんわりした見た目から一変、豹柄の服や赤いリップを好むようになりました。

そして、彼女は恋愛で上手くいかなくなると、また手首に薄く赤い痕を残しました。

 

なんで、この子はいつも幸せになれない道ばかり選ぶのだろう。

私は、『幸せになる資格なんてない』という女の子が嫌いだ。だって、資格なんてあってもなくても、自ら不幸の道に突き進むくせに。

 

いつの間にか、私よりも派手でギャルになったUちゃんに、変わらず恋をしていました。

毎日朝まで飲んで二人で朝方ラブホに泊まって、シャワー浴びてまた飲みに出かけました。

Uちゃんはやっとマトモな彼氏が出来たけど、境界性人格障害の気があったらしく、怒鳴って、彼氏を殴って、「どうしてこうなっちゃうの」といつも泣いていました。

 

私は練炭自殺をしたことがあります。Uちゃんと毎日一緒に居て、過ごしていた日々に突然大阪に飛び、実行しました。

「なんでそんなことしたの」当時は答えられなかったけれど、Uちゃんに遺書を書きたかったというのも大きな理由でした。

もちろん、人生辛くて辛くて、どうしようもないと思っていたのは確かだけど、Uちゃんと当時ハマって聴いていた、さめざめという歌手の『きみが死ぬとき思い出す女の子になりたい』という曲の歌詞を遺書に書きました。結局私は死ねなかったし、その手紙は彼女の手に渡ることもなかったけれど、『あたしが死ぬとき思い出す男の子はきみです』を『あたしが死ぬとき思い出す女の子はきみです』と、書き替えて文字を綴りました。なんて薄っぺらい。

 

女の一生忘れられない女の子になりたかった。それだけでした。

「明日はバイトだから今日は帰らなきゃ」と言って宥めるとぶすったれた顔で俯いて喋らなくなる彼女、結局行ったラブホテル、一度も手を出さなかった私、無防備に寝ていた彼女、伸びて剥げたUちゃんのネイル、バレンタインにあげた五本の薔薇の花束、駅の露店でお揃いで買ったピンキーリングは今どこにあるんだっけ、とか。

私に、好きな男の子が出来て、それからUちゃんとだんだん距離が離れてしまって、一度だけ連絡が来たけれどまた拗れてしまって、結局会うことなく沖縄に越して来ました。

 

今も、ツイッターを見る限り元気にやってはいるみたいだけれど、私は彼女と居てとても幸せだったと思います。

彼女のワガママに付き合うことが楽しかった。拗ねた顔がしてやったりな顔になるのが嬉しかった。

Uちゃんとは、友達には戻れないかもしれないけれど、私の人生の青春は、間違いなく彼女との数年間だったと思います。

 

勝手に記事にして書いてごめんね。

でも、ひとに優しく、世界一可愛い貴女はきっと彼氏のこと大切にできると思うよ。

どうか、幸せになってね。






ただの日記です

こんにちは。やよいちゃんです。
今回は、日記のような記事になりますが、見て頂けたら嬉しいです〜

沖縄に来て早くも三ヶ月が経とうとしています。現在、私は無職です。
それは決してコロナウイルスがどうのこうのではなく、唯一見つかった条件の良いバイト先で制服のサイズが無いというとんだ恥ずかしい理由で働けなくなり。
始まる子供の学校生活(延期になってしまっていますが…)に合わせて、朝から夕方まで働けるところどこかないかな〜なんて考えていたのですが、そこでみるみる体調を崩しました。

引越しをしてから知ったのですが、『引越し』というのはうつ状態を引き起こす大きなトリガーらしく、そのせいなのか気候などで病状が不安定なのか、ずっと鬱々して、一日家に居るのに家事も出来ず、子供の幼稚園のお迎えさえ行けず(彼に散々迷惑をかけました)、気がついたら何年かぶりに遺書を書くまでに至りました。

住んでいるうちは三階なので飛び降りても死ねないだろうと、近くにある高層マンションを調べていたら、SUUMOから『あなたにオススメの物件はこちら!』と新しい高層マンションのお知らせがくるようになりました。
ついでに「もうだめだ!このままでは死んでしまう!警察か、入院か、いや、いのちのダイヤルに電話…!」という状況で、ごくりと唾を飲み込んでかけたいのちのダイヤル、普通に「本日は お休みを頂いております 」とか言われてスマホ投げ壊しそうになりました。(いのちのダイヤルのスタッフさん達にもそりゃ休み要るよね…。)

最近は週に3、4回は夕飯を作れるようになり(毎日作っててすごいですね、とか言ってもらえるんですけど、コンビニ弁当の日もあります。載せないだけで笑)
洗濯物を畳めたり、畳めなかったりしながら過ごしています。

今日から彼がコロナウイルスの影響で在宅勤務になったので、ちょっと嬉しいです。どんなに子供がかわいくても、ずっと家に子供と二人だと気が滅入ります。こんなこと言ったら怒られそうだけれど…。
自粛ムードですが、タイムラインに美味しそうな手作りお菓子とか流れてきて、なんだか嬉しいです。

そういえば、今日、朝に少しツイキャスをしてたら、昔から知ってた女の子が死んでしまったようでした。
人って死ぬときは死ぬんだなぁと寂しくはなりますが、辛さや苦しみから解放されて、よかった。誰に迷惑かけたって、自ら死ぬこと、誰しも権利を持っていると思っています。たくさん眠ってね。

気が向いたらまた何か書きますが、咳止め依存の記事や、三作目を書いたり、なかなか進められずにいます。

なんの変哲もない記事ですみません。
元気ないときは、おジャ魔女カーニバル聴いて踏ん張ってます。


あと一つ告知なんですが、私の書いた『風俗大好きお姉さん』に出てくるNさんという女性のモチーフになっている私の尊敬する風俗のお姉さん、まりてん(@marina_reiwa)と同じお店に居たとびきりの美少女すーちゃん(@suzu0924k)のコンビのツイキャスにお邪魔します。
4月22日、夜の22時から!

「ホンクレ」の公式Twitter(@honkure100)にて。

お暇があったら見てくださいね〜

それではっ

咳止めを飲むということ④

こんにちは、やよいです。 のんびり更新になってしまっていますが、今日は少し調子が良いので続きを書こうと思います。

咳止めの抜け目で地獄を味わった私は、その日の夜一睡も出来ず、目を赤くして高校に行きました。次の日になっても手がぶるぶると震えていて、酷くいらいらしていました。 身体は相変わらず痒くて、学校へ向かうバスの中でふとスカートを捲ると、赤くミミズ腫れになっていました。

寝ていないせいか、授業中も先生の言葉が全く頭に入ってこず、二時間目の授業が終わると早々に学校を抜け出しました。かといって専業主婦の母親が居る家に帰るわけにもいかず、駅近くの漫画喫茶に入ると、フラット席の個室で横になって辛さに耐えていました。

時間もそこそこ経って、学校が終わるくらいの時間になると家に帰り、そのころには咳止めの効果も薄れていたのか、夕飯も食べずに泥のように眠りました。 途中で気持ち悪くなって起きて、トイレで嘔吐すると、うがいもせずにまた眠りました。最悪の気分でした。

これほどに「二度とやるもんか!」と思ったにも関わらず、私がまた咳止めを手に取ったのはあれからすぐのことでした。

その日、私はまた辛い気持ちでいっぱいになってしまい、学校に行かず、いつものごとく漫画喫茶でネットサーフィンをしていました。 ピコンとスマホが鳴って通知を見ると、それは母親からで『学校行ってないでしょう。今すぐ帰ってきなさい』とのことでした。 あぁ〜、最悪だ…。ここのところ学校をサボりがちでした。特にバレている様子もなかったのでたかを括っていたけれど、担任の先生から親に連絡が行ったようでした。

渋々家に帰ると玄関に母親が立っていて、腕をぐいと掴まれました。そのとき、腕のリストカットの跡が見えたようで、頬を強く叩かれ母を見ると、母の目からぼろぼろと涙が溢れました。 「なんでこんなことするの!」「なんでちゃんと学校いけないの!」そんなようなことを言われて、私も辛くて声を上げて泣きました。

だって、私はずっと辛くて、苦しくて、死にたかった! そんなことを言えるわけもなく、しばらく怒鳴られ泣き続け、部屋に戻るとまた咳止めの瓶を手に取り、今度は数も数えずに瓶ごとザラザラと口に含みました。

ジュースで飲み込むと、なんだか喉がつっかえたような感じで気持ち悪くて、またぽろぽろと涙が出てきて、そのままベッドに横になりました。 暫く、眠っているような眠っていないような、とろんとふわふわ浮いているような感覚でした。気がつくと2時間ほどぼっと目を瞑っていたようで、起き上がると頭が酷く重く感じました。 この間より、ずっと気持ちが良いように感じました。

身体は相変わらず痒くなったけれど、身体がだるくとろんとしているのに頭だけシャキッと冴えていました。 なんだかすごく集中力が増して、なんとなくテーブルの上に置いてあった読みかけの小説を一気に読み終えました。

すごい、集中できる。これなら授業も受けられるかもしれない。

そして、私はこの日から毎日咳止めを飲んでから授業に出ることになりました。 朝起きて学校に行く途中のバスで咳止めを30錠ほど飲み、授業の合間合間で少しづつ咳止めを追加していくと、一日中気持ちよく、授業に集中できました。

学校に通えるようになり、授業をしっかり受けていたので成績も上がり、両親は安心していたようでした。 効果が切れたら辛いなら、切れる前にまた追加して飲んでしまえばいい。 咳止めの常飲が始りました。

 

 

 

咳止めの依存症から抜け出す

 

こんにちは、やよいちゃんです。

決意表明、といったわけでもないですが、先ほど道さん(彼氏)に、咳止めのオーバードーズを辞められていないことを打ち明けました。

 

今までは「昔はやっていたけど今はやっていない」という風に話していて、それが全て嘘であったこと、沖縄に引っ越してきてから1ヶ月の間に84錠の瓶を4〜5瓶空にしていたこと、辞めよう、辞めようと思いつつ辞められずに飲んでいたこと、全てを話しました。

 

「あのさ」

「ん?なぁに」

「咳止め、辞められてないんです」

 

泣きながらそう言った時、彼は眉間にしわを寄せていて、少し悲しそうに見えました。

 

咳止めの依存は15歳のころからでした。辞めようと思って辞められたのは半年くらいの期間だけで、あとはずっと辞めたり毎日飲む期間が続いたりしていました。

 

私が風俗のお仕事を始めたきっかけの一つとしても、咳止めの購入資金にしたいといった理由もありました。

 

私が飲んでいたのは『エスエスブロン』という商品名のもので、咳止めのオーバードーズに使われる中では一番メジャーなものだと思います。

 

辛いとき、苦しいときに飲む、というわけでもなく、単に暇つぶしや気持ちよくなりたいがために使う時もありました。

高校を卒業するとき、タンスの一番下の段には100を超える数のブロンの瓶がありました。

 

親にバレても、友人にバレても、それでも誤魔化して続けてきました。

 

今回、彼に咳止めの依存症だと打ち明けたのは、本気で辞めたいと思ったからでした。

こんなふうに言ってもなんだか信憑性がないですが。

 

私は今、彼と彼の子供の6歳の女の子と暮らしています。

この頃もずっと咳止めを飲んでいて、咳止めを飲むと、調子が良くなり、家事も捗り、子供によく構ってあげることができました。

 

夜になるとカフェインでバキバキに覚醒した頭を眠気の副作用の強い安定剤で落とし、眠って起きると朝すぐにまたブロンを飲みました。

 

彼はおそらく「最近調子がいいのかな」と安心していたと思います。

私は統合失調感情障害という精神疾患を持っています。統合失調症と、躁鬱の兼ね合わせのような病気です。

辛いときも、身体が動かないときも、寄り添って応援してくれていたのは彼でした。

仕事を辞めて、精神的に参っていた私を「沖縄に行こうよ」「暖かいところでのんびり暮らそう」と言ってくれたのも彼でした。

なっちゃんだいすき」「なっちゃんといっしょだとたのしいね」と私に懐いてくれていた子供、私のことを信頼して「結婚はしていないけど相方だ」と言ってくれていた彼を、騙していました。裏切っていました。

 

私が「今も辞められずに飲んでいる」と言ったとき、彼は「辞めようね」と言って抱きしめてくれました。裏切り者の、自分の欲求に、快楽に負けて裏切り行為をした私をです。

 

彼に、子供に、真剣に向き合わなければならないと思いました。

私は、私のやり方で、失った信頼を取り戻さなければならないと思いました。

 

私は咳止めを辞めます。彼と子供を失うことが怖いからです。

 

今『咳止めを飲むということ』というブログの記事を連載しています。

咳止めを飲んだきっかけや、それからずっと辞められずにいたこと、苦しかったこと、全て書いていくつもりです。

そして、実際に咳止めに依存している人、依存していた人、色々な人の声をまとめて記事にします。

 

道さん、りかちゃん、本当にごめんなさい、明日から、生まれ変わってまた、がんばります。

どうか、傍で見守っていてください。

 

2020 03 07      





咳止めを飲むということ③

少しバタバタしていて、更新が遅れてしまいました。続き書いてください、とお尻を叩いてくれた方たち、ありがとうございます。書きます。

前回、初めて咳止めを飲んで、少し間を空けて気持ちいい状態を味わい、時間が経ってその薬の効果の切れ目にいらいらし始めたところで、終わってたかな…



初めての咳止めのオーバードーズは、とても気持ちの良いものでした。なんだかやる気も湧いてきて、とろんとして気持ちの良い浮遊感と、心地の良いだるさで、これは良い、みんながハマってしまうのも分かる…。そう思いました。

時間が経って、薬の抜け目だったのでしょうか。突然身体中がとても痒く、全身を伸びた爪で掻きむしりました。赤くなっても、傷になっても、とにかく痒い。頭も首も腕も足も、局部も痒い。
そうして掻いているうちに激しく苛立ってきて、気がつくと貧乏ゆすりをしていました。
大きな音が怖くなって、いらいらと共に、怖い!なんだか怖い!と思ったのをよく覚えています。
お化け屋敷に居るような、ジェットコースターの落ちる直前のような(好きな方だと伝わらないかもしれませんが)そんな恐怖感でした。

両親にバレてはいけない、水分をたくさん取って中和しなければ…
とにかく水を飲みました。早くこの恐怖感から逃げ出したい!それだけでいっぱいでした。
コップを持つ手が震えていました。恐怖感からというよりは、なんだか全身がぷるぷると震えていて変な感覚でした。

ベッドの上で不安と痒みと戦っているうちに、おしっこがしたくなって、震えながらトイレに行き便座に座りました。
あぁ、水分もたくさん取ったし、強い尿意を感じて、たくさん出そうだな…と思いました。でも、全くおしっこは出ませんでした。
なんだこれは!? おしっこが出そうで出ない。尿意はあるのに、出ない。
初めての経験でした。後に、咳止めによる尿閉であったことが分かりました。
なんだか気持ちの悪いまま用を足せずに部屋に戻り、ひどく乾いた口を潤そうとまた水を飲みました。

もう、いっそ寝てしまおう… 起きたらきっと、良くなっているはずだ。
もう咳止めなんて二度とやるもんか!

そう心に誓って布団にくるまり目を閉じました。でも、咳止めに含まれている無水カフェインのせいか全く眠れず、身体の痒みは更に増して、そのまま朝を迎えました。
どっと疲れていました。まだ頭の中がだるくて、痒みは収まったけれど、まだイライラした気持ちがありました。
夕飯も食べずにいたのに、全くといって良いほど食欲も湧かず、胃はからっぽなのに腸だけガスが溜まっているようにパンパンで、だらだらと汗を垂れ流して太陽の眩しさにうんざりしました。

もう咳止めなんて二度とやるもんか!
そう決めたはずなのに、気づけば咳止めを8年間も辞められずにいます。

咳止めは私の人生を大きく狂わせるものとなりました。

咳止めのオーバードーズですが、人によって感じ方が違うと思うので、あくまで私の体験です。
それと、この記事は咳止めのオーバードーズを推奨するものではありません。

続き、なるべく早く書きます。読んでいただいてありがとうございます…!

咳止めを飲むということ ②

 

 

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初めて咳止めを多量に飲んだことで興奮していたのか、なんだか身体はふわふわしていました。

これが咳止めの効果なのか!と思った私でしたが、どうやら違ったようなのでした。

 

さすがにずっとトイレの中には居られないと思った私は、家に帰ろうと歩きだしました。

この公園からバスで30分ほどでしたが、バスの中で揺られながら「なんだろう。全然変化を感じないぞ」と思い、揺れる座席で追加の10錠を飲みました。

喉にちょっとした、詰まるような違和感を感じたくらいで、身体は気持ちよくもなんともなく、至って正常でした。

やっぱり、デマなの?飲む量が少なかったかな。

そんなことを思い少しがっかりした気持ちで家に着いてベッドに横になると、身体がぐわんと重くなりました。

飲んでから1時間半ほど経ってから、初めて変化を感じました。

頭が、重い。身体が、重い。ふわふわ浮いているような感覚でした。

 

あぁ、これか〜!なんて気持ちがいい、なんだか久しぶりに気持ちも楽になったような気がする。

ずんと身体が心地よくだるく、自分でも目がとろんとしてきたのが分かりました。

ただ、喉の渇きが酷く、キッチンまでとろとろと歩いて冷蔵庫の中にあったお茶を一気飲みしました。

また部屋のベッドに入ると、急にお腹の中がぐるぐる気持ち悪くなってきました。

あれ、なんか、気持ち悪い。追加した10錠が飲み過ぎだったか。急にこみ上げてきた吐き気でトイレに駆け込むと、黄色の液体を勢い良く吐き出しました。

しばらく吐き続けると、少し身体が楽になり、またとろんとした状態になりました。

喉の渇きは酷かったし、嘔吐のあとのすっぱい味で気持ち悪かったけれど、それでも「こんな素敵な薬があるだなんて」「もっと早く知りたかった」と思うほどでした。

しばらく寝転んでふわふわ感を楽しんでいると、すっと意識が飛ぶような、起きているのか寝てるのか分からない心地よさに包まれました。

(後から調べると、これは咳止めに含まれるコデインの効果によってうとうとする『コデ寝』というものらしいのでした。)

 

ぼーっと起きたり寝たりしているうちに気がつくと2時間が経っていて、母親に「ご飯だよー」と起こされました。

もうそんな時間なのか、と思ったと同時に、最後にした食事から随分時間が経っているというのに、食欲が消え失せて、全くお腹が空いていない自分に気がついて嬉しくなりました。

そうか。咳止めがダイエットになるっていうのはこういうことなのか。

「なんか調子悪いから後で食べるね」と返事をして、もう少し咳止めの効果を楽しもうというところでした。

 

なんか、痒い…

身体全身があちこち痒くて、伸びた爪でポリポリ搔き始めると、どんどん痒みは増していて、気がつくと全身跡になるまで身体を掻き続けていました。

あぁ!もう!痒い!

身体だけでなく顔や頭も痒くて、なんだかイライラしてきました。

またお腹もだんだん気持ち悪くなってきて、トイレに駆け込むと再度吐きました。

身体は脱水症状を起こしているのかブルブルと震え、気持ち悪くて、痒くて、いらいらして叫びそうでした。

 

家族にバレないように慌てて部屋に戻り鍵を閉めると、歯を食いしばりながら込み上げてくる大きな苛つきと戦っていました。

 

 

次回明日に更新します〜

咳止めを飲むということ ①



写真にあるのは『エスエスブロン錠』の空き瓶です。

咳止めのオーバードーズで、おそらく一番使われているものだと思います。

 

薬局などにもよりますが、60錠がおおよそ1100円。84錠が1500円ほど。

せきやたんなどに効く薬で、一日3回、成人であれば一回4錠が正しい用量用法です。



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Twitterから、咳止めを過剰摂取している、または過剰摂取していた、という方々にお話を聞かせて頂きました。

 

なぜ『咳止め依存』について書こうと思ったのか、理由はシンプルで、私は現在も咳止めの依存症だからです。

 

ブログにて、少しずつ書いていこうと思います。

 

 

 

私が咳止めを飲もう、と思ったのは高校一年生の時でした。

肌に合わない高校生活でストレスが溜まり、鬱の症状が出始めたとき、Twitterで『エスエスブロン錠』を過剰摂取しているアカウントを見つけ、それの真似をしたのがきっかけでした。とにかく、辛さから抜け出せるなら、そう自分に言い聞かせて悲劇のヒロインのように酔いしれては居ましたが、実際のところは好奇心に負けたのでした。何か、悪いことをしているドキドキ感も加わって、飲むのに躊躇はしませんでした。

 

当時は、まだ精神科にもかかっていなかったし『薬を大量に飲む』なんてことを考えたこともなく、どれくらい飲めばいいのか、2ちゃんねるのスレッドを何年分も遡りました。

『最初は少量から始めないと吐くよ』

グレープフルーツジュースで飲むと効きが増すらしい』

そんな情報を頭の中にメモしながら見つけたのは『ブロン始めてから10キロ痩せたw』というコメントでした。

他に咳止めに対して否定的なコメントや『切れ目がキツい』なんてコメントもありましたが、当時の私にとって『辛さから抜け出して気持ちよくなれて、尚且つ痩せるだなんて!』といった風に、咳止めへの期待は増すばかりでした。

 

学校帰りに薬局に寄り、風邪薬コーナーで紫の箱を見つけ、60錠入りのものを手に取りました。不審がられては困ると思い、マスクをしてわざと咳こみながらレジに出すとなにも問題なく買うことが出来ました。当時、価格は980円ほどだったと思います。

 

家族や知人に見られると困ると思った私は、公園にある公衆トイレの一番奥の個室に入り、箱を開け、サニタリーボックスに空き箱をぎゅっと詰め捨てると、瓶を開けて錠剤をざらざらと手に出しました。

白くて丸い粒に、なんだか可愛いな、なんて思ったのをよく覚えています。

 

コンビニで買ってあった紙パックのグレープフルーツジュースの封を開けストローを挿すと、きっちり20錠を数え、5錠ずつ分けてジュースで飲み込みました。

やけに甘いその錠剤と、100%のグレープフルーツジュースが酸っぱくて、それにずっと汗をかいた手に握っていた白い錠剤が溶けて手にはべっとりと白い色が付着していました。

 

どっくんどっくん心臓が脈を打っていました。





少し体調回復したら続きを書こうと思います。今日はここまで。